供養とは

 供養は誰のためのものでしょうか?

 このように尋ねると、「そりゃあ、亡くなった人のためのものでしょう。」という回答が返ってくるケースがほとんどだと思います。


 現在の日本において、供養という言葉は、亡くなった方を弔う行為(追善供養)という意味で使うケースが多いですが、 本来は仏様へ様々なお供え物をするという意味です。お釈迦様は入滅される直前に、「供養」について弟子たちに説いています。

 お釈迦様が沙羅双樹の木のもとに 頭を北に向け体を横たえたところ、(※)季節外れにもかかわらず沙羅双樹の花が咲き乱れ、どこからともなく良い香りがたちこめ、天からは清らかな歌声が聞こえてきたといわれております。そのようなさまを見てお釈迦様は弟子のアーナンダにこのようにおっしゃったそうです。

修行完成者(=お釈迦様)は、このようなことで敬われ、重んぜられ、尊ばれ、供養され、尊敬されるのではない。
~略~
理法に従って実践し、正しく実践して、法に従って行っている者こそ、修行完成者を敬い、重んじ、尊び、尊敬し、 最上の供養によって供養しているのである。

(中村元訳 『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』より引用)

 『供養』は、仏の教え(お釈迦様の教え)を常に心に持ち、正しく実践することだとおっしゃっているのです。絶えることなく想い続け行い続けることが重要なのです。

 ただ、日常生活の中で我々が「想い続ける」ということは非常に困難なことです。ですので、せめて一日の中でそのような時間や場を作ってみるということも大事なことだと思います。

 前号の金剛寺便りでも書きましたが、『信は荘厳より成る』という言葉通り、我々凡夫が心を正しく保つためには正しい 『場』(例えば仏壇など)や、『時』(仏前に座る時間)も必要となります。今日一日こうありたい、という誓いの時間や、感謝の時間を作るというのはとても重要なことです。

 また、多くの方にとって、(亡くなっていようがいまいが)自分の父母や祖父母などに感謝の気持ちを持つというのは『感謝』の中でも一番身近なことではないでしょうか。その中でも、亡くなった近親者に対して思いを馳せ、感謝をすること、これが先祖供養ではないでしょうか。そして、その『身近な感謝』をきっかけとして日々真心より祈りをささげることで自らの行動も徐々に変わってくる―――そう考えると、供養は自分の為でもある、といっても過言ではないのです。私たちが日々怠ることなく歩み続ける姿勢を亡くなった方に 見せ、感謝の気持ちを持ち続けることこそが本当の供養であり、ひいては自らへの供養にもなるといえるのではないでしょうか。

  • 亡くなった方を北枕にすることはここが起源といわれています。また、葬儀の際、故人の枕元に置かれる紙花(しか)は、 入滅の際近くにあった沙羅双樹に由来しています。

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