「右目はスリランカ人に、左目は日本人に。」

 このたび2月21日より28日までスリランカを巡拝して参りました。今回の巡拝の目的の一つは、日本という国をこよなく愛し、擁護してくれたジャヤワルダナ氏へのお礼をするためでした。

今回は、ジャヤワルダナ氏がどのような人物で、日本にとってどのような存在であるかということを記したいと思います。 

 ジャヤワルダナ氏は、スリランカの第2代大統領であり、旧セイロンがイギリスからスリランカとして独立する際にも大きな役割を果たした方です。
そのジャヤワルダナ氏が、日本を擁護してくれた出来事の中でもっとも有名なものは、第2次世界大戦後のサンフランシスコ講和会議における演説でしょう。

 サンフランシスコ講和会議で締結された平和条約により、第2次世界大戦の連合国の多くと日本との間で戦争状態が終結することになりましたが、この講和会議の場において、当時蔵相であったジャヤワルダナ氏は、セイロン政府は日本への賠償金の請求を放棄する、という旨の演説を行いました。

以下演説の引用・抜粋です。

私の声明は我国が本条約を受け入れる諸理由から成り立っていますが、本条約に対して向けられたいくらかの批判を反ばくする企てもあります。

・・・(省略)・・・

セイロンに於ける我々は、幸い侵略を受けませんでしたが、(日本軍の)空襲により引き起された損害、(連合国)東南アジア司令部に属する大軍の駐屯による損害、並びに我国が連合国に供出する自然ゴムの唯一の生産国であった時に於ける、我国の主要産物のひとつであるゴムの枯渇的樹液採取によって生じた損害は、損害賠償を要求する資格を我国に与えるものであります。

我国はそうしようとは思いません。何故なら我々は大師(釈尊)の言葉を信じていますから。
大師(釈尊)のメッセージ、「憎しみは憎しみによっては止まず、ただ愛によってのみ止む」(※)はアジアの数え切れないほどの人々の生涯を高尚にしました。

・・・(省略)・・・

(仏教による)共通文化は未だに(日本とスリランカの間に)在続しています。それを私は先週、この会議に出席する途中日本を訪問した際に見付けました。又日本の指導者達から、大臣の方々からも、市井の人々からも、寺院の僧侶からも、日本の普通の人々は今も尚、平和の大師(釈尊)の影響のもとにあり、それに従って行こうと願っているのを見いだしました。我々は日本人に機会を与えて上げねばなりません。

そうであるから我々は、ソ連代表の云っている、日本の自由は制限されるべきであるという見解には賛同出来ないのです。

「かしゃぐら通信」より引用・抜粋(カッコ内は私がつけた補足です)

※ 法句経の一部分を踏襲したものです。法句経とは、「スッタニパータ」とともに仏教の経典の中で最古の経典の一つと言われており、仏の教えを端的に言葉で表現した経典です。

 当時、ソ連が平和条約の内容に猛反対しており、領土の分断・多大なる賠償金の請求・主権の制限を唱え、それに追従する国もちらほら出ているような状況であったそうです。ジャヤワルダナ氏が行ったこの演説によって、会議の流れが大きく変わり、日本の国際復帰の道筋がついたといわれています。セイロンは、ジャヤワルダナ氏の演説通り日本を許し、この平和条約調印後、世界各国の中で一番最初に日本と国交の回復も行いました。

 ジャヤワルダナ氏は1996年にこの世を去っています。生前彼は、

「私は守るべき家柄や財産もなく、王冠をかぶせる王子や姫もいない。私の子孫、財産、王子や王妃は国民である。」
と言っていました。その言葉通り、彼の死後自宅を含めた私有財産を国へと寄付しています。
そして現在では、彼の自宅は大統領時代に世界各国を歴訪した際にもらった贈り物を展示する記念館となっています。また、死に際し、彼は「右目はスリランカ人に、左目は日本人に」という言葉を残して自らの角膜を提供したのです。

現在の私たちは、終戦後ジャヤワルダナ氏が日本で見た、心に釈尊の教えを抱いた日本人であるでしょうか?

ジャヤワルダナ氏のように釈尊の教えを心に抱き日々過ごせているのでしょうか?

再度自らに問いただしていきたいと、今回の巡礼を終えて感じました。

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