目次
金剛寺のはじまり
- 1893年(明治26年)
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四国八十八ヶ所霊場20番奥の院慈眼寺住職であった釋秀辨和尚は高野山金剛峯寺の命にて徳島より渡道し、同じ徳島からの開拓者を頼り奈井江の茶志内で布教活動を行いました。
- 1896年(明治29年)
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浦臼町開拓の中心人物であった友成士寿太郎氏との面談の末、布教のために浦臼の黄臼内に釋秀辨和尚が遍照院(現在の金剛寺)を開創いたしました。
- 1907年(明治40年)12月12日
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金剛寺の創立を出願し、12月24日に「樺戸山金剛寺」の寺号公称が認可され、初代住職には釋秀辨和尚が任命されました。当時の檀徒は128戸、基本財産は土地14町3反7畝でした。
歴代住職
第一世 釋秀辨 (1907-1921)
第二世 佐伯秀明(1921-1944)
第三世 佐伯秀禅(1944-1975)
第四世 米田弘明(1975-2018)
第五世 米田弘教(2018-)
住職のごあいさつ
夏は星空の宇宙、冬は雪の砂漠になる札幌と旭川の中間、浦臼町のお寺で住職をしております、米田弘教と申します。
多様な経験を積むことで視野が広がり、相手の立場に立って寄り添える僧侶になれると信じ、これまで歩んでまいりました。
これからも皆さんの心を高められるような信仰の在り方や亡くなった方々の供養の在り方を常に模索してまいります。
■住職略歴
- 1979年、金剛寺第4世住職弘明和尚の次男として浦臼で生まれる。
- 筑波大学第三学群国際総合学類卒業後、大和証券株式会社にて12年勤務。
- 退職後、高野山専修学院での修行を経て、伝法灌頂に入壇し高野山真言宗の僧侶となる。2018年に金剛寺第五世住職を拝命し、現在に至る。
- 現在は、高野山真言宗阿字観(瞑想)講師として本山で一般参詣者に瞑想指導を行うほか、町の民生委員、子ども向け行事など、地域を元気にするための活動にも取り組んでいる。